東京国立近代美術館「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」

[text and photo by 中野 昭子] 2016/07/15 UP

 今、東京国立近代美術館では、日本を代表する現代詩人、吉増剛造の展示を開催している。吉増氏は詩人としての約50年に渡るキャリアを持ちながら、朗読会やパフォーマンスのほか、映画をつくり、写真を撮るなど、ジャンルの壁など存在しないかのような活動をしている。
 今回の展示「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」は、吉増氏の多彩な活躍と才能をまんべんなく感じられる構成だ。会場は作品の大まかなカテゴリーごとに番号がついているが、決まった順番で見る必要はなく、移動経路は固定されず、自由な動線で鑑賞することができる。

 

●公式HP:  http://www.momat.go.jp/am/exhibition/yoshimasu-gozo/
●会場:  東京国立近代美術館
●会期:      2016年6月7日(火)~8月7日(日) 
●時間:     10 : 00 – 17 : 00(金曜は20 : 00 まで)入館は閉館の30 分前まで

 

日誌・覚書 

 1961年1月から2012年までの日誌や覚書の展示である。それらは内面の思考をメモし、整理するための役割から、内外からの気づきを拾いあげる役割へと移り変わっていく。吉増氏が日常のあらゆるものを意識に取り込み、創作に取り入れている様子がわかって興味深い。
 筆跡は、若かりし頃の文字は濃くてみずみずしく、はち切れんばかりの勢いがあるが、歳を経るにつれ繊細さと滑らかさを増し、研ぎ澄まされた線になっていく。
 それにしても、吉増氏の字は美しい。一枚の紙に配置された文字自体が調和をもって成立しており、ずっと眺めていたくなる。

 

 写真

 複数の場所の風景が重なる多重露光の写真は、現像してみるまでどんな仕上がりになるか予想がつかない、偶然に身を委ねる表現だ。
 吉増氏の作品は、一枚の写真の中に、海とスクールバスと柵など、一見無関係な被写体がランダムに取り混ざっていながら、概ね華麗で光に満ち、幻想的である。吉増氏は言葉の魔術師であると共に、多重露光写真の魔術師でもあるのだろう。
 撮影者が気になったものを被写体にする以上、写真は不完全ながら、時にメモの機能も果たす。吉増氏のまなざしは、凡庸な無機物ですら、曲線やかたちや光沢など、思いもよらない要素から魅力を拾い上げている。

 

 銅板

 オレンジ色に鈍く光る銅板に、大きさや形もさまざまな文字が刻まれている。この銅板は彫刻家の若林奮から送られたもので、刻む道具も若林からもらったそうだ。板は巻物を広げたような形状で、ここに字を打ちこむというのは、写経のような行為である。恐らく制作の過程で出る音や、ハンマーを打ち下ろすテンポはリズムを刻み、意識を滅却する助けになったと思われる。
 文字が刻みこまれた銅板は、大きな一枚の紙のようにも見えた。紙は儚いものだが、金属ならば永遠に近い時間に耐える。ここに記載された言葉は、板がどれだけ錆びて腐食しても、その形は残り続けるのだろう。

 

 <声ノート>等

 空間を横断する形でずらりと並ぶのはカセットテープ。吉増氏は、ポータブルカセットテープレコーダーで声のメモを取っていたという。ボイスレコーダーが、記録をデータという無形のものに残すことに比べ、カセットテープレコーダーは、記録をカセットテープという有形のマテリアルに残す。昨今ではカセットテープを見ること自体珍しくなっているが、久し振りに見るそれらは、背表紙にラベルが貼られ、個性と表情を備えているような気がした。

 本展の担当学芸員は、今回の展示にあたり、吉増氏の家を訪れてアトリエにあった大量のカセットテープを見て、「声」を主体にする構成を思いついたのだという。展示されているカセットテープの数は、およそ1000本。そして天上のスピーカーからは、ダビングして編集されたテープから流れる10の音源を聞くことができる。

 

自筆原稿

 吉増氏は講演で自筆のメモを作成し、コピーしたものを参加者に配ることが多いそうだ。そのハンドアウトのメモは<裸のメモ>と呼ばれ、嘗ては<マジック・メモ>とも称されていた。会場で手に取ることができる展示概要の裏面にはこの<裸のメモ>がプリントされており、吉増氏の密度の高い筆跡をじっくり追うことができる。
 文字は、罫線に沿っていたり欄外に書かれていたり、ランダムに配置されているが、紙の余白も含めてバランスよく配置され、言葉の意味を読み取るだけではなく、メモ本体がひとつの作品として成立している。
 原稿用紙はもともとの色か、経年によるものか、概ねクリーム色をベースとしており、文字は黒、修正部分は黄色、修正文字は臙脂色と落ち着いた色味で調和しており、色彩が視覚的効果をさらに高めている。

 

怪物君

 東日本大震災から約一年後に制作開始されたという<怪物君>は、巻物に自身の詩が書かれたものから、主に吉本隆明の著作を書き写した上に水彩で着色した作品へと変遷していく。他の詩作とほとんど変わらなかった原稿が少しずつ変形し、次第に大胆な色を纏っていく過程を見ることができる。
 原稿用紙に着色された色は、万年筆がにじみ出たような青や、他の作品でも多用される黄、青に黄を足した緑、炭のような黒などいろいろだが、とりわけ血のような赤が目につく。赤い色はインパクトがあるが、怖さと共に強いエネルギーを感じさせる。
 長い回廊でガラス越しに見る色とりどりの<怪物君>は、言語化しづらい言葉、声にならない声を型に押し込めず、整形しないままに表出させたような迫力を放っていた。
 またここでは、前半部分では吉増氏の本作の朗読を聞くことができ、最後はモニターで<怪物君>制作風景を鑑賞できる。

 その他、吉増氏が67歳から制作を続けている映像作品<gozoCiné>や、劇作家・演出家にしてパフォーマンスライブなども行い、吉増氏同様に活動範囲が広い飴屋法水氏による空間展示など、さまざまな作品がある。


 

 詩や小説など、一般に文学と称されるジャンルの作品を美術館で展示するのは難しい。ストーリーや言葉に力があっても、文字だけだと理解するまでに時間がかかるし、空間で見せる面白みを出しづらい。
 吉増氏の作品は、言葉の意味だけが見どころなのではない。文字ばかりではなく隙間の部分、文字に埋まっていない空白すらも作品の一部を成している。小さな字が書き込まれたメモ帳は、一つ一つの文字がまるで動きだすかのようで清々しい。この美しさは、計算して得られるものではないから、吉増氏は元々バランス感覚が優れているのだろう。また、吉増氏の放つ言葉を口にした時の舌の感覚(まろやかさや鮮烈さなどが複雑に入り混じる、無二の触覚)も魅力の一つである。
 吉増氏の息吹がかかると、写真にせよ映画にせよ朗読にせよ、活き活きとした生命を帯びていく。この展示は、できあがったものを見るのではなく、新しいものが生成される場に立ち会うような、創造する力の強靭さを実感できる展示だった。

 

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