原美術館「蜷川実花:Self-image」展

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[text and photo by 中野 昭子] 2015/1/27 UP

 2015年1月から始まる原美術館の展示「蜷川実花:Self-image」は、原館長が蜷川氏の写真集『Self-image』を見たことがきっかけで開催が決まり、一年の準備期間を経て実現したものである。

 同館は元個人邸宅であり、展示空間に人々の生活や記憶が集積した、特殊な場の力を持つ建物である。蜷川氏も建物のパワーに負けないように、それでいて建物の持つ雰囲気に寄り添うような展示にしようと気を配ったそうだ。

 

会  場原美術館
会  期: 2015年1月24日(土)~5月10日(日)
時  間: 11:00~17:00 ※水曜は20:00まで ※入館は閉館時間の30分前まで

 

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 エントランスにあるカメラは、蜷川氏が高校生の時に初めて使ったものである。思えば写真という表現手段は、20年ほど前、蜷川氏やHIROMIXの出現により、若者や女性などの幅広い愛好者と鑑賞者を得たのだった。蜷川氏の原点とも言えるカメラには可愛らしいストラップがついており、無骨な機械に彩りを添えている。

 

 

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ギャラリー1:無題(2015年 映像・音響インスタレーション)

  三面映像で繰り返し投影されるのは、蜷川氏の作品に繰り返し現れる金魚たちや街の雑踏。ここでの音楽は渋谷慶一郎が、サウンド・ジェネレートシステムはevalaが手掛けた。  金魚は人為的につくられたもので、自然界では生きられない。そんないびつな存在でありながらも、彼らは人の生活には馴染みきっている。極彩色の小さな魚たちは、現代に生きる我々の欲望の象徴である。

 

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1階廊下、ギャラリー2:noir(2010年‐ Cプリント、インクジェット出力)

  『noir』は同名の写真集発表以降も続いているシリーズ名で、当展示では多くが初公開である。室内に入ってすぐに目につくカラーひよこたちは、撮影用に色づけされたのではなく、もともと着色されていたそうだ。人為的に処理されている彼らは、外敵から身を守る術がないほどに目立つが、それでも日常の中にあるものである。  またこのシリーズには、ソーセージや、スーパーで切り売りされているような肉もたくさん登場する。ソーセージは腸に肉を積めたもので、ある角度からすると残酷なものである。結局のところ、人が口にしているのはすべて死体だが、その事実が我々の意識にのぼることはほとんどない。

 

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階段:無題(2015年 コルトンにインクジェット出力)

 階段の作品はモノクロの2色に抑えられ、日常的なシーンで埋められる。ここの写真にはステンドグラスのような崇高さはなく、生活の場の雰囲気を演出する。  階段を上がってすぐのフロアで目につく市松模様は、かつてここが原美術館ではなく原邸だった頃の再現である。

 

 

 

 

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ギャラリー4:PLANT A TREE(2011年 Cプリント)

 目黒川の桜が川面に散るこの写真は、蜷川氏が結婚相手と別れた時、僅かフィルム三本を使って撮影されたもの。自我のない状態で撮られた桜は夢のように儚く、観る者に諸行無常・栄枯盛衰といった言葉を想起させるだろう。  ここにある写真は、蜷川氏の作品が持つ、鮮烈で華やかという特徴からはかけ離れており、移りゆく瞬間をありのままに撮るという、写真の原点が際立った作品となっている。

 

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ギャラリー3、ギャラリー5:Self-image(2013年- Cプリント)

  ←記者会見での蜷川実花氏。壁面のポスターには『Self-image』中の写真が採用されている。  蜷川氏のセルフポートレートは、写真家としての活動初期から断続的に撮られているものだという。色がそぎ落とされた画面の中の攻撃的な表情は、『PLANT A TREE』同様、「蜷川カラー」と呼ばれるいつもの作品とは全く異なる。セルフポートレートには、撮影者の意志は介在しない。

 

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←蜷川実花氏

 同展の写真は、セルフポートレートだけではなく、ひよこや金魚が被写体になっているものでも、どこか不安な気持ちを喚起する。

 

 

 

 

 


 私はパーティや祭りなどの喧噪の中で、ふと我に返る瞬間がある。それは未来の自分が、その時経験している賑やかさを、かつて存在した栄華の瞬間として遠く思い返すという予感があるからだと思う。

 蜷川氏の写真は恐らく、祝祭性の裏にある不吉さを内在しているのだ。そしてその不穏な空気が、存在自体が不自然な金魚や、人為的に色づけされたカラーひよこなど、被写体に由来すると仮定しよう。すると被写体になった蜷川氏自体もまた、ゆがみを纏っていることになる。

 蜷川氏は、今回展示されているセルフポートレートを撮ったのは、映画でたくさんの人と関わっていた時であると言う。無数の人との交流の中で、一人で向き合う自己とは何だろうか。それは表面的な人当たりの良さをはぎ取った、他者に見せられない自分自身ではないだろうか。

 『Self-image』の中の蜷川氏は、強烈で攻撃的で、怒りを秘めているように見える。生の原動力が怒りであれば、蜷川氏は生きている限り、写真を撮り続けざるを得ないのだろう。撮影者の感情の揺れを吐き出し、被写体の移りゆきをとらえる手段として。

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