根津美術館「生誕200年記念 特別展 清麿 -幕末の志士を魅了した名工-」

[text and photo by 中野昭子] 2014/03/04 UP

 私は以前、刃物を扱う知人に、日本刀の価値はどのように決まるのか聞いたことがある。その時の回答は「何人斬ったかで決まる」というものだった。日本刀は刃部のみで構成されるものではなく、鞘や鍔、紐などのパーツが、それぞれ別の職人によってつくられる。またそれらのパーツのどれをとっても、工芸の粋を集めた技術が必要になる。そうした視点で言えば、日本刀は美術品として観賞されがちだが、刀はそもそもが武器である。
  今回根津美術館では、江戸時代の刀工、源清麿の特別展が開催される。清麿は十八歳の若さで処女作を打ち、四十二歳で命を絶つまで刀をつくり続けた。言わば作刀が清麿の人生そのものなのだろうと思いを馳せながら、名刀のかずかずを鑑賞してきた。

公式HP: http://www.nezu-muse.or.jp/index.html
会  場: 根津美術館
会  期: 2014年2月26日(水)-4月6日(日)
時  間: 午前10時‐午後5時
※入場は午後4時半まで

 清麿は武士の出自で、隣村の名主の婿養子となり、剣道の達人となって刀を欲したものの、刀を購入する資金がなくて自分で作ってみたという経緯があったそうだ。またこの時は、刀に入れ込みすぎて、婿入り先の家をしばしば留守にしたと伝わっている。そして処女作を他の人に見てもらったところ、その非凡な才能が評判を読んだということである。

 清麿は一八歳の時、兄との合作にして処女作であるこの脇差をつくった。初めての作品ながら、刃文や地鉄の美しさは高く評価されている。

 清麿はその後、鍛刀の情熱を携えて江戸に出、師匠となる窪田清音に出会う。当時の鍛刀の修練は丁稚奉公で弟子入りする形だったが、清音自身には刀づくりの技術はなく、ひたすら古名刀を見せて、それを手本につくるように指示したらしい。清麿の刀に古典的な刀の要素が見られるのは、この観察による鍛錬によるものである。また清麿の刀が美しいのは、職人魂ではなく作家の精神でつくられたことに依拠しているのだろう。
 清麿が「四ツ谷正宗」という異名を持つのは、清麿が四ツ谷に居を構えていたことと、日本の刀剣で特徴的な作風の一つである相州伝を確立した名工、正宗の名がかけられている。清麿が正宗になぞらえられるのは、清麿の刀に見られる、強靭ながら涼しげな地鉄の特色にあるという。

 

 幕末の志士や剣士たちは、こぞって清麿の刀をほしがったそうだ。それは清麿の刀の切れ味が鋭いということと、使いやすいようにつくられていることによる。使い勝手のよい刀ということは、おそらく斬りやすい刀でもあったのだろう。刀は人の命がかかった美術品ということになるが、美術品には往々にして人の執着や念がからむものであるから、それほど不自然なことではないのかもしれない。
 工芸品は見て愛でられるだけでなく、日常の中で使われることで活かされ、価値を高めるものである。その意味で清麿の作品は、形も使い手もよい刀として、当代随一のものである。

 

 上段が清麿の絶作。制作年の十一月に清麿は自害する。この刀は二年後に試し斬りが行われた際、最高の切れ味と評され、結果の切付銘は茎に記載されている。

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