[text and photo by 中野 昭子] 2015/8/18 UP
蔡國強といえば現代アートの旗手であり、花火を多用するダイナミックな作品で知られる。蔡氏の手によって鮮やかに彩られた北京オリンピックの花火映像は、今なお記憶に新しい。
そんなアート界のスターである蔡氏が、この度横浜美術館で展示を行うことになった。展覧会のタイトル『帰去来』は、中国の詩人である陶淵明の代表作「帰去来辞」に由来する。官位を辞し、故郷の田園に帰り去る決意を表したこの詩は、原点に立ち返り自然体で生きる姿勢を示す。「帰去来」の書は蔡氏の手によるもので、「来」の払いがすがすがしく、蔡氏が今まで辿ってきた人生の軌跡をのびやかに体言しているようだ。
今や世界を飛び回って活躍する蔡氏だが、アーティストとしての原点は日本での活動だった。今回の展示は蔡氏の、アーティストとしての、そして人間としての原点への問いを含んだ展示であるという。横浜美術館で蔡氏が制作した新作も含まれる本展は、その場で作品を見ることができる喜びと、費やされた無数の時間と努力、そして作品が生成される瞬間のエネルギーを感じることができる内容だった。
●会場: 横浜美術館
●会期: 2015年7月11日(土)~10月18日(日)
●時間: 10時~18時(入館は17時30分まで)
夜桜
《夜桜》2015年、火薬・和紙、800×2400cm、作家蔵
美術館に入るとすぐ目に入るこの作品は、蔡氏が火薬で作成した絵画の中でも最大のものだという。
かがり火に照らし出される桜と、隙間から顔をのぞかせるミミズク。白と黒が基調ながらも躍動的で華やかな雰囲気を持つのは、やはり制作に花火が介在しているからだろうか。美術館全体を見はるかすような鳥の眼差しと巨大な桜の花弁は、無機質な空間に生命の躍動感を与えている。
蔡氏は、桜の開花時の力強さと散りぎわの潔さに、火薬との共通点を見出したのだという。確かに花火と桜は、花開いている時間は短いながら、鮮烈な輝きと盛り上がりを持つ。そこに人は祝祭性を見出し、記憶に留めるのだろう。
そしてこの絵は、土佐の和紙に描かれている。紙は簡単に燃えてしまう素材であり、火薬を使って制作する際の難しさは計り知れない。蔡氏はまた、火は燃やす時よりも消す時が難しいという。迫力あるこの絵も、無数の繊細な調整の上に成り立っているのである。
人生四季:春、夏、秋、冬
《人生四季:春、夏、秋、冬》より、左から「春」「夏」「秋」 2015年、作家蔵
4つのカンヴァスの上に描かれるのはいずれも男女の愛の営みで、移ろいゆく季節とともに、彼らの雰囲気も変わっていく。恥じらいを感じさせる春、生命感あふれる夏、円熟期に至る秋、雪の中でゆったりと時の流れに身をまかせる冬。身体の上には季節を示す花札の刺青が施され、時の移り変わりを一層強く示す。そして春には燕、夏にはカッコウ、秋には雁、冬は鶴が描かれ、それぞれの人間の状態とリンクしている。
色彩は、身体の中でも愛を示す箇所、つまり他者と接触する部位でとりわけ鮮やかである。人と人、また自然の中の人といった複数の連関を実感させる作品だった。
春夏秋冬
《春夏秋冬》より 、左から「夏」「秋」 2014年、火薬・磁器、作家蔵、上海当代芸術博物館によるコミッション・ワーク
季節ごとに分かれた四つのパネルに、四季の情景が造形されている。パネルの素材は中国・泉州市の徳化窯でつくられた白磁。菊の花弁や鳥の羽などが、透き通るような白い色味で浮き上がるように制作されている。そこに火薬の爆発を加えているわけだが、この非常にデリケートな細工を壊さぬように陰影をつけるために、多大な注意力と集中力と経験値が注ぎ込まれていることは想像に難くない。
単純に作品を見てもその美しさに驚くが、制作過程を示す映像を見ると、品よく精工なこの作品が、大胆な手法を経て制作されていることが分かって味わい深い。
朝顔
《朝顔》(2015年、陶、藤蔓、鉄、作家蔵)
大輪の朝顔が天井から吊られている。この朝顔たちは、蔡氏と横浜美術大学の学生とのコラボレーションで制作された。テラコッタの花と葉の上に爆発を起こして陰影をつけた朝顔は生き生きと力強く、まるで天に向かって伸びているように見えた。
壁撞き
《壁撞き》2006年、 狼のレプリカ(99体)・ガラス、ドイツ銀行によるコミッション・ワーク The Deutsche Bank Collection Photo by Jon Linkins,courtesy: Queensland Art Gallery | Gallery of Modern Art
「見える壁は簡単に壊れるが、見えない壁を崩すことは難しい」と蔡氏は言う。蔡氏が『壁撞き』を制作したのはベルリンの壁崩壊の時期で、狼たちが衝突している透明な壁は、物理的な壁が取り払われた後、潜在的に残ってしまった見えない壁なのだろう。狼は99匹おり、狼たちは「共同体意識、英雄的精神、勇気」を、99は「連続性」や「完結を知らずに先頭を進む」ことを示すそうだ。見た目も内包する問題も壮大なこの作品は、一度見ると忘れられないインパクトを残す。
壁に体当たりする狼たちを、無知で愚かな存在に見立てることもできるだろう。しかし彼らに悲愴感はなく、ひたすら前を向いているように見える。そもそも人間の歴史は同じ事象の連続であり、我々は間違ったことを繰り返して前進する生き物である。見えない壁は衝突してみなければ、存在すらも曖昧なままだ。そこをめがけて突進するのは蛮勇なのかもしれないが、ぶつかってみなければ顕在しない問題もあるのだと思う。
館長の逢坂恵理子氏、アーティストの蔡國強氏、記者会見にて
美術館では火薬の使用が禁じられているため、今回の蔡氏の制作には、花火師・警察・消防等の力が必要だったという。そうした協力が得られたことと、丹下健三氏の堅牢な設計が幸いし、花火を使うに至ったそうだ。
蔡氏は日本で活動を始めた当初から、柔らかく真摯な物腰とコミュニケーション力を発揮し、周囲の人も手助けしたくなるような人徳に溢れていたという。もちろんアーティストに必要な力は他にもあるし、蔡氏を現在のポジションに押し上げたのは、才能や努力やその他無数の要素によるのだろう。しかし自分が全体の中の一つでありつつも、決して無力な欠片ではないとすることや、周囲の自然の中に見出す喜びなど、作品を見て感じる根源的な部分は、やはり蔡氏の人間性に裏付けられたものだと思う。
現在活躍中のアーティストの作品に触れて得られる喜びは、それが今という時間を投影していることと、生成される場に立ち会えることである。今回蔡氏の作品づくりに参加できた学生たちやボランティアの方々は、一生に残る貴重な経験を得たはずである。日本に住み、少しでも現代アートに興味がある人であれば、時間が許す限り横浜美術館に足を運んだ方がいいだろう。