[text and photo by 中野昭子] 2013/4/5 UP
ソフィ・カルは国際的に広く認められたアーティストであり、また分野を超えて多くのアーティストに影響を与えてきた。それはアメリカの作家ポール・オースターが彼女の生き様にインスパイアされ、小説「リヴァイアサン」の登場人物マリア・ターナーのモデルとして描いたことでも明白である。今回の原美術館の展示は主として、海を見たことがない人が初めて海を見た様子を捉えた「海を見る」と、視力を失った人々が最後に見たものを再構築した「最後に見たもの」の二つで構成される。
会 場: 原美術館
会 期: 2013年3月20日(水・祝)~6月30日(日)
時 間: 10:00~18:00(祝日・振替休日除く金曜のみ20:00まで)
※入館は閉館30分前まで
一階ギャラリーⅡの、大小さまざまなスクリーンが並ぶ「海を見る」は、最初は背中を見せていた人物が、時と共にカメラに向き直ってくる。波の音は静かに響きわたり、背景や年齢、性別も様々な人物が目の前の広大な海に心打たれた後、心持ちうるんだ瞳をこちらに示す様子は詩的で心を打つ。
サンルームの映像は初めて海を目にした子供たちの様子で、最初は寄せては返す海の様子に圧倒されていたものの、徐々に海に親しみ遊ぶ様子は微笑ましい。しかし子供が時折カメラに視線を投げかけるため、鑑賞者であるこちらの存在を見透かされているような気がして当惑する瞬間があった。
二階で展示されるのは「最後に見たもの」で、物語る人物の写真と、最後に目にしたものが再構成された写真、そしてテキストが展示されている。作品が示すのは、個々の人々のかけがえのない記憶であり、既に存在しないであろう景色を、景色の外側にいる人間が共有することの不思議な感動を体感させる。原美術館の建物を活かしきった作品の配置のバランスや構成は、ソフィ・カル自身が指示したもので、14年前の展示「限局性激痛」以来の美術館と作家の豊かな信頼関係を伺わせる。
「最後に見たもの」で人々が最後に見た情景は、完全に再現されることはない。永遠に失われたものを問うのは傷をえぐるようなものではないかと思うが、作者によれば、その質問は相手を傷つけることはなかったという。個人の見るものは基本的に秘められたもので、人々が最初に見た海や、最後に見た情景は、結局のところ見る者によって差異が生まれ、全く同じものを共有することはない。それを再確認することは、ほのかな哀切を味わうと共に、個人の持つずれを受け入れて生きていくことでもある。
←ソフィ・カル氏