[text and photo by 中野昭子+Art inn編集部, photo by Art inn編集部] 2013/5/13 UP
(編) 六本木ヒルズ・森美術館の10周年記念展として開催された本展は、世界中の有名アーティストによる「LOVE」にまつわる作品が勢ぞろい。本展は新作を含む約200点、5つのセクションからなり、あらゆる角度からの「LOVE」の諸相を考察しています。
2003年の開館時には、「幸福」をテーマに「ハピネス」展が開催されましたが、「ハピネス」よりは「LOVE」の方がテーマとして捉えやすかったと館長・南條氏。確かに「LOVE」の方が具体的なイメージが出やすいかと。
では各セクションごとにざっくりとみていきます。
会 場: 森美術館
会 期: 2013年4月26日(金)~9月1日(日)
時 間: 10:00~22:00 [火曜日のみ17:00まで][会期中無休]
※入館は閉館30分前まで
← Section1 愛ってなに?
左から、デミアン・ハースト《無題》2000、ジェフ・クーンズ《聖なるハート》1994-2007、ギムホンソック《ラブ》2012
(編) 中央の巨大なプレゼントのようなクーンズの作品は、やはりメインビジュアルになるだけのインパクトがありますね。
(中) 形だけ見ると手軽なギフトといった感じの金色のハートは、実は高さ3.6メートルで重さ2トンという巨大なもの。どこから見てもつるりとして完璧な姿は、重量に相応しい存在感を醸しています。
← Section2 恋するふたり
ゴウハル・ダシュティ《今日の生活と戦争》2008
(中) イラン・イラク戦争開戦年に生まれたゴウハル・ダシュティの作品は、日常の中に戦争の緊迫感が入り込んでいる状況を体感させますね。
(編) 彼女、彼らにとっては現実にある風景なんですよね。。
(中) 私は戦争と一般市民の生活を切り離して想像しがちなのですが、戦争は非戦闘員の生活領域にも入り込むことを目の当たりにした気がしました。
← Section3 愛を失うとき
左から、TANY《昔の男に捧げる》2002、岡本太郎《痛ましき腕》1936/1949
(編) ”御礼参り”さながらに、夜の公園らしき場所で元彼をボッコボコにしているTANYさん。なんとリアルな元彼として出演しているのは、森美でひとつ前に展示していた会田誠氏。愛憎とは表裏一体。。
(中) 何とも豪華なキャスティングですが、実生活に基づいているらしく、別れ際にいったい何があったの?と聞いてみたくなりますね。
← Section4 家族と愛
左から、《アート・ママ+パン人間 息子》1996、《オリモト・スタジオ(アート+生活)》共に折元立身
(中) アルツハイマーとうつ病を併発した母親を介護するというシリアスな事態が、パン人間というユーモアあふれるキャラクターで表現されています。全体を流れるまなざしに温かさを感じさせる作品でした。
← 出光真子《英雄ちゃん、ママよ》1983
(編) こちら、離れて暮らす息子の映像をみながら、さも目の前に存在しているかのように甲斐甲斐しく世話を焼き、言葉を掛ける母親に狂気を見たのでした。。30年前の作品ですが、現代にもあることじゃないかと。
(中) 子離れできない母親ということで、息子としては気持ち悪いでしょうね。ただ、母親の執着が実際に息子と対峙する方向に行かず、映像として切り離されている辺り、まだしも健全なのかもしれません。
← Section5 広がる愛
アルフレド・ジャー《抱擁》1995
(中) こちらはルワンダ大虐殺の際に生き残った子供を映したもので、少年たちに芽生えた悲しみと慰めの絆を示しています。作家のアルフレド・ジャー氏は、虐殺を黙殺した国際社会に悲惨な現実を示しても反応しないだろうと考え、この作品をつくったとのこと。フレームの中にある悲しい事態を、自分の外の出来事として片づけてはいけないのだと訴えられた気がしました。
(編) 作家の意図するように、過酷な状況下にも希望が垣間見られ意表をつかれたというか、印象に残る一枚でした。
← 初音ミク
(編) 多面体の中でくるっくる踊ってました。。
ヴォーカロイドとして27万人が応援する架空のアイドル初音ミク。彼女もネット世界に存在するひとつの愛のカタチなのです。
(中)既存のキャラクターをコラージュしたような初音ミクは、無個性ゆえに普遍的と言えます。アイドルという言葉はもともと「偶像」を指してますし、視聴者不在では活躍できない彼女は、ユーザが自由に自己投影できる、まさにアイドルの中のアイドルなのでしょう。 初音ミクを介して映像や電子音楽、さらにオペラやヴィトンとのコラボレーションなどさまざまな作品が生まれ、現代における「広がる愛」を体現しています。
← 津村耕佑《ファイナルホーム:シースルー》2011
(編) 何らかの非常時、最後に自分の身を守る家のような存在になるのは衣服であるというコンセプトの元、考案されたサバイバルウェア。
防寒対策であれば新聞紙等で事足りるのでしょうが、出展作は透けて見える仕様になっており、着る人のアイデンティティを示すものが詰め込まれているように見受けられました。
(中)衣服が身体を覆うだけではなく、身体を守り生活空間に広がっていくというのは面白いですよね。災害時もそうですが、人が一つの場所ではなく流動していくという傾向は今後広がっていくでしょうから、時節に合いつつも着用した人が楽しめる作品だなと思いました。
← ジャン=ミシェル・オトニエル《Kin no Kokoro》2013
(編) 毛利庭園に新設されたオトニエルのパブリックアートは、定番の記念撮影スポットになりそうです。ちなみに左の男性がオトニエル氏。
(中)作品もきれいで夢のようですが、アーティストご本人もとてもおしゃれですね。庭園では水面に作品が映り込んで、なんだか異世界への入り口みたいな雰囲気でした。
(編) 終わりに、とにかく作品数が多いので、一口に愛といってもいろいろあるんだなぁと感心してしまいます。展示室の壁面にも、さりげなく著名人による愛の言葉が書かれているのでチェックしてみてくださいね。
(中) 愛の定義は広いから作品もいろいろ、と言ってしまうと何だか軽薄ですが、一つ一つが完成されたものですし、点数が多いにも関わらず、最後まできっちり楽しめる内容です。どなたが行っても何かしら好きな作品があると思いますし、それでいて現代アートを幅広く体験することができるので、とても充実した展示だと思います。