2009年3月31日(火)~6月7日(日) に、東京国立博物館 平成館で開催中の「興福寺創建1300年記念 「国宝 阿修羅展」」にちなみ、我がIHIエスキューブきっての歴史愛好家、阿部 隆氏によるコラム第3弾!玄奘三蔵墓所の門
この度、奈良・興福寺の創建1300年を記念し、「国宝・阿修羅展」が上野の東京国立博物館にて3/31より開催されます。ついては、仏教にそれ程深く関わっているわけではない筆者ですが、批判を浴びることを承知の上で、阿修羅とは何者なのか、興福寺が大本山の地位にある法相宗とは誰が興したのか、などについて簡単に解説したいと思います。
1.法相宗の開祖について
玄奘三蔵墓所の案内板法相宗(ほっそうしゅう)という宗派は聞きなれない方が多いかと思いますが、7・8世紀に中国より日本に伝来した南都六宗の一つで、日本に現存する宗派では最古になります。 中国に於ける法相宗の宗祖は、慈恩大師 窺基(きき)とされていますが、彼は「西遊記」で有名な三蔵法師の弟子ですので、実質的には三蔵法師が興した宗派と申し上げてもおかしくないでしょう。
三蔵法師は、正式には玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)(600or602-664)といい、西遊記にみられるように天竺(=インド)に渡り、17年の歳月を費やし仏教修行に励みました。
そして帰国に際しては、657部という膨大な経典を都の長安(現西安)に持ち帰り、市内に在る大慈恩寺にて経典の翻訳に亡くなるまで従事したのです。依って一説には、現在日本で使用されて経典の1/3程は、玄奘三蔵が翻訳したものだとも言われています。
玄奘三蔵墓所の石造十三重塔また、日本に於ける法相宗の宗祖は道昭(どうしょう・629- 700)という方ですが、彼は遣唐使として中国に渡り、玄奘三蔵に直接師事したといいますので、日本の法相宗は正に玄奘三蔵の直系だと言えます。要すれば、三蔵法師と呼ばれた方は、日本仏教にただならぬ影響を与えた高僧なのです。
それと、意外と知る方は少ないですが、玄奘三蔵の墓は日本にもあるのです。この経緯については戦時中のお話になりますが、昭和十七年、南京駐留の日本軍が土木作業中にたまたま玄奘三蔵のご霊骨を発掘し、当時の南京政府に届け出ました。
そこで、その分骨が日本仏教会に贈られることになり、大慈恩寺に因んで命名された、埼玉県にある天台宗「華林山慈恩寺」(さいたま市岩槻区慈恩寺139)の地が選ばれたのです。もっとも、お墓は境内から南に500mほど離れたひっそりとした地所にあり、遺骨はその中の石造十三重塔に納められています。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2.南都六宗について
坂東三十三観音霊場「中禅寺」から撮った日光中禅寺湖と男体山
南都六宗とは中国から渡来した六つの宗派を指しますが、その中で現存するのは半分の三つで、宗派の名とその宗派の大本山寺院は以下のとおりです。
●法相宗:奈良「興福寺」と奈良「薬師寺」
●華厳宗:奈良「東大寺」
●律宗 :奈良「唐招提寺」
以上のとおり、宗派の名は知らなくとも、大本山の寺院は日本人で有ればどなたでも知っている大寺院、有名寺院ばかりです。
法相宗の現在の大本山は前述のとおりですが、世界最古の木造建築物である「法隆寺」も大本山の一角を担っていました。それが戦後、聖徳宗を名乗って独立し、さらに「清水の舞台」で有名な京都「清水寺」も、北法相宗を名乗って独立しました。
華厳宗は前述のとおり「東大寺」が大本山であり、同寺院の本尊「奈良の大仏(国宝)」は余りにも有名です。補足をひとつ。日光中禅寺湖傍にある日本三大名瀑の一つ「華厳の滝」について、これは華厳宗の名に由来しますが、意外と知られていないようです。
華厳の滝
律宗は中国の高僧 鑑真和上(688-763)が、遣唐使の求めに応じて来日し立宗した宗派です。なお鑑真は中国で4千人の弟子を抱える高僧でしたので、中国の朝廷は出国を許可しませんでした。それにも拘らず、密出国を試みた鑑真は5度失敗し、かつその間に失明しますが、天平勝宝5(753)年に6度目でやっと日本に辿り着いたのでした。
そして、前述の東大寺に住し、新たに僧尼になろうとする者への受戒の制度を整え、それを執り行う戒壇を東大寺大仏殿と他二ヶ所に設けました。その後、天平宝字3(759)年に「唐招提寺」(奈良市五条町13-46)を建立し、そこに引き移ったのです。鑑真和上も玄奘三蔵と同様に、日本仏教会にとっては大恩ある方と申せましょう。
ここで、国宝の阿修羅像がある「興福寺」について、若干補足します。同寺院は、藤原氏の祖である藤原鎌足(614-669)夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)が、天智天皇8(669)年に夫の病気平癒を祈願して、山階(京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が起源とされています。
その後、天武天皇元(672)年に藤原京に移り、厩坂寺(うまやさかでら)と改称し、さらに和銅3(710)年の平城遷都に際し、鎌足の次男である藤原不比等(ふひと・659-720)が、平城京左京の現在地に移し、「興福寺」(奈良市登大路町48)に改称したと言います。奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、平安時代には春日大社の実権を手中におさめ、また、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たったと言います。
現在、同寺院が所有する国宝は、建造物が五重塔、三重塔、東金堂、北円堂の4つ、彫刻・その他が阿修羅像を含む乾漆八部衆立像、乾漆十大弟子立像など20点強、計26点もの多きを数えます。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
3.仏像の種類について
阿弥陀如来:鎌倉の大仏
阿修羅を語る前に仏像の種類と意味について簡単に触れます。
最上位には、仏教上の最高の状態にある存在という意味の「如来」があります。如来にもいくつかの種類があり、有名なのは釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来と大日如来の四つでしょう。釈迦如来は説明するまでもなくお釈迦様そのものを指します。阿弥陀如来の代表としては、高徳院にある「鎌倉の大仏(国宝)」が挙げられます。薬師如来をご本尊に祀る寺院については、親しみを込めて「○○薬師」と呼ぶことが多い。
例えば、中野区にある梅照院は、正式には「新井山梅照院薬王寺」という真言宗智山派の寺院ですが、寺院の名は知らなくても「新井薬師」の名は東京に住む者であればほとんどが知っているでしょう。大日如来については、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、もしくは盧舎那仏と呼ぶことがあります。前述の東大寺にある「奈良の大仏」は、この毘盧遮那仏に当たります。
大日如来:大井の大仏(おおぼとけ)と呼ばれる如来寺(品川区)の大日如来坐像
如来の次の位には、悟りを開いて仏になろうと発心して修行に励む人を指す「菩薩」があります。菩薩の種類も大変多く、観音菩薩(観世音菩薩または観自在菩薩の略)、弥勒菩薩、勢至菩薩、日光菩薩、月光菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩などです。この中でどなたでも知っているのは、観音菩薩、即ち観音様と地蔵菩薩、即ちお地蔵様でしょう。なお観音菩薩は、さらに聖観音、如意輪観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音などに分かれます。
![]() |
![]() |
![]() |
| 観音菩薩 群馬県高崎市の観音山山頂にある 高崎白衣大観音=像高41.8m |
地蔵菩薩 品川区の品川(ほんせん)寺にある 江戸六地蔵の一番 |
鬼子母神 豊島区の雑司が谷鬼子母神堂(法明寺)にある 鬼子母神像 |
菩薩の次の位には、明王部、天部、その他の諸仏があります。
明王部には、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、愛染明王、孔雀明王などがありますが、有名なのは不動明王でしょう。
天部には、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)、梵天、帝釈天、弁才天、大黒天、吉祥天、韋駄天、摩利支天、歓喜天(聖天)、金剛力士(仁王)、鬼子母神、夜叉、阿修羅など実に多くの種類が有りますが、その多くはインドのヒンドゥー教より取り入れられた仏教の守護神です。また、四天王の一つ多聞天は別名毘沙門天といい、七福神の一つに選ばれています。その他の諸仏については説明を割愛します。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
4.阿修羅について
阿修羅は別名「修羅」ともいい、天部の一つ帝釈天と戦う悪の戦闘神で、常に負ける存在でした。そして、この戦いの場を修羅場と言い、「修羅場をくぐり抜ける」、「修羅場を経験する」といった言葉の語源となったのです。
しかしながら、「国宝 阿修羅像」を拝見していると、悪のイメージは微塵も感じられません。興福寺の阿修羅像HPには、『仏教では釈迦の教えに触れた守護神と説かれる。』とあり、この阿修羅像は、釈迦の教えに触れて改心した後のお姿なのでしょう。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
5.観音霊場について
笠森観音の二天門
前述のとおり、数多ある仏像の中でも、特に観音様は大昔から庶民に親しまれており、「西国三十三箇所観音霊場」や、それを模して鎌倉時代初期に出来た「坂東三十三箇所観音霊場」がもてはやされました。これに「秩父三十四箇所観音霊場」を加えて、「日本百観音霊場」という場合もあるようです。
先ずは、「西国三十三箇所観音霊場」を少し覗いて見ましょう。有名な所では、8番札所の長谷観音こと奈良県桜井市「長谷寺」、9番で前述の「興福寺(南円堂)」、11番の京都市伏見区「醍醐寺(上醍醐)」、13番の大津市「石山寺」、14番の三井寺こと大津市「園城寺(観音堂)」、16番で前述の「清水寺」などが挙げられます。
笠森観音の観音堂
次に、「坂東三十三箇所観音霊場」についてですが、私事ですがただ今これにチャレンジしておりまして、現在21ヵ寺を巡り終え、残りは12ヵ寺ですので今年中に満願したいと考えております。その中から一つだけ変った本堂があるのでお伝えします。第三十一番札所の寺院で、天台宗別格大本山「大悲山笠森寺」(千葉県長生郡長南町笠森302)といい、通称「笠森観音」と呼ばれています。
http://ref-ap.library.pref.chiba.lg.jp/gazou/gazou_frm_syosai.php?q=27764254&id=306
上記は、千葉県立図書館の「資料の森(電子図書館)」に収蔵されている代物で、二代目歌川(安藤)広重が「諸国名所百景」シリーズの中で笠森観音を描いた浮世絵ですが、「大岩の上にそびえる観音堂は、61本の柱で支えられた四方懸造と呼ばれる日本で唯一の特異な建築様式」という特徴を見事に活写しています。なおこの観音堂は国重文に指定されています。
[text by 阿部 隆(IHIエスキューブ)]
●Art inn美術館一覧:東京国立博物館はコチラ
●阿部さんコラム:検証 坂本龍馬!はコチラ
●阿部さんのコラム第一弾!! ―大江戸マルチ文化人交遊録― 「大田南畝」ってどんな人?はコチラ




