東京都美術館で「サンクトペテルブルク国立ロシア美術館展」を観た。
サンクトペテルブルクと言えば、ソ連時代はレニングラードと改名されたが、元々はロシア帝国の首都。ドストエフスキー文学の舞台だ。
「サンクトペテルブルク国立ロシア美術館展」では、1760年代の絵画から始まり、約80点の絵画、彫刻、工芸が展示されている。
展示会場の出口で最後の鑑賞を飾るのは、1916年に描かれた、謝肉祭を祝う村の風景の絵画だった。
雪景色の中で村人たちが喜々としてお祭り騒ぎに興じている絵である。
それはつまり、共産主義革命が起こってソ連邦の誕生する前年に描かれたわけである。
高校時代にドストエフスキーの翻訳ものを全部読破した(文学青年崩れの)人間としては、19世紀後半のペテルブルクの街の光景が脳裏の奥底に滓のように沈んでいる。
今回、その時代に描かれた絵画をたっぷりと観て、その滓がかき混ぜられ、あの時代の空気感が生々しく蘇ってきた。
ドストエフスキーの代表作『罪と罰』が発表されたのは1866年だ。
展覧会では1861年に描かれたアンドレイ・ポポフの『村の朝』や、1864年のヴァシーリー・ペロフの『墓地の孤児たち』、1875年のイヴァン・アイヴァゾフスキーの『アイヤ岬の嵐』など、ドストエフスキーと同時代の画家たちの作品をまじまじと観ることができた。
19世紀後半のロシア美術界は、社会解放を目指した文学思潮に大きく影響を受けて、現実の社会生活を描いた風俗画と人々の生活と密接に結びついた自然を描いた風景画が現れ、その手法は、とことんリアリズムを追求したものだったそうだ。
ドストエフスキーの小説のリアリムズは凄まじい。
その凄まじさが確かに、同時代の絵画にも感じられた。
ドストエフスキーは、当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想と無神論に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教に基づく魂の救済を訴えたとされる。
ドストエフスキーのリアリズムは、理性万能主義と無神論の究極的な限界点を徹底して描き尽くしていた。
ドストエフスキーの小説にハマった者ならば、無神論的生き方を推し進めた人間の絶対的な絶望と廃頽を、自らの魂で体感せざるを得なくなるはずだ。
その究極的な絶望の果ての、魂の救済…。
しかしその救済の描き方とて、安易な夢想やいい加減な気休めでは決してあり得ないのが、ドストエフスキーの深刻極まりないリアリズムなのだ。
19世紀後半のロシアの首都ペテルブルグに生きたインテリ層に、まるで悪霊のひそやかな息吹のように蔓延していた暴力的な革命思想と、徹底的に闘い抜いたドストエフスキー。
そのドストエフスキーが死んだのは、彼の集大成ともいえる長編『カラマーゾフの兄弟』を脱稿したその数ヵ月後の1881年だった。
展覧会では、ドストエフスキーとほぼ同時代を同じペテルブルグで生きたイヴァン・クラムスコイの『ソフィア・クラムスカヤの肖像』(1882年)や『ミーナ・モイセーエフ』(1882年)を観ることができる。
どちらも人物画である。
その絵に描かれた人物の、なんとも深刻で悲哀に満ちた表情をじっと観ていると、あの時代に生きた芸術家の魂が命を削りながら吸い取り、作品の内奥に描き籠めた時代精神を、ありありと感じ取れることだろう。
ドストエフスキーが死んだ26年後に共産主義革命が起こり、ロシアはソ連となった。
芸術家はその魂で時代の行く末を感じ取り、作品に投影する。
ドストエフスキーの小説にもイヴァン・クラムスコイの絵画にも、その20数年後に起こるロシア民族の悲劇を感じ取れるはずだ。
と、すればどうだろう。
現代アーティストが描くコンテンポラリーアートの中にも、今から数十年後の時代を予見する何かを読み取れるものなのだろうか。
横須賀美術館で展示会場の壁をかじっていた木村太陽さんが思い出される。
十数年後、世界はどう変わるのだろうか。
う~ん…、わからない。
[text by Junichi Ishikawa]
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