
[ text by 鈴木正人] 2009/12/8 UP
会 期
2009年11 月28 日(土)~ 2010 年2 月28 日(日)
会期中無休
今回の展示は、イギリスの製薬業で成功したヘンリー・ウェルカム卿の遺志を継いだウェルカム財団が収集している、「人間と医学に関するあらゆる事物」の一部を借りたものに、現代芸術と日本の古美術を加えて紹介しているものだとか。
医学は、身体が秩序を失っている状態を調停し、調和した状態に整えてくれる有難いもので、身体は、健康な時はおとなしく、病気になったりするやいなや自己主張を始める不思議なものである。
その意味で身体は、普段は意識にのぼってくれない方がありがたかったりするわけだが、この展示は、そんな嬉しくない主張の形ではなく、身体とそれをとりまく医学、また芸術との関連性を問題提起の舞台に登場させるきっかけを与えてくれる。
原初的なところでいえば、医学は解剖学を土台にしているわけだが、思うに身体は、我々にとって一番身近だが一番分かっていない、それゆえに最も薄気味悪いものの一つではないか。
芸術が少なくとも、人間に何らかの感情を引き起こすという性質を持っているとすれば、中でも現代芸術は、我々にとって必ずしも心地よいわけではない感情、つまりは嫌悪・違和感・恐怖のたぐいを掻き立てることに比較的広く門戸を開くそぶりを見せている。
身体の局所的な一部分、切り取られた断片を提示されると湧き上がる感覚は、どこかで我々が身体に関し、全体的な形状を前提してしまっていることが一つの原因として考えられよう。
その意味で、身体の全体や一部を作品の一部に使用することは、現代芸術の表現手段として有効なのではないかと思う。
また我々は、病や怪我などに出くわすことによって、身体の内部に関わる機会を持つわけだが、そうした医学の現場にリアルにコミットする機会は、近年の生活風景の中で姿を消してきていたように思う。
自分の身体の状態について自分が知ることは最近見直されていることだが、逆に考えると、そんな当たり前のことが主張されるくらいに我々は自分の身体について知らなかったりする。
これは医学が複雑・高度化してきたという理由の他に、我々が身体について無意識に不気味さ・分からなさを抱いているからかもしれず、身体を通して芸術表現を行うというルートとは逆方向に、芸術を通して身体を問い直す機会を与えてくれるという点でも、今回の展示は貴重であるといえるだろう。
会場の用意するお楽しみの一つには、今回初公開のレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図などがあって、彼の資料やヨハン・リンデル等の資料・作品には、神秘的というか、宇宙や世界のダイナミズムの一部を体現するものとして、人体とそれをつくった自然への畏敬のようなものが読み取れた。
ところがだんだん時代が現代に近づくにつれ、機能を果たす役割としての人体、メカニズムとしての身体という側面がクローズアップされているような印象を受けた。
古代ギリシャ的な発想で言えば、身体は自然が作成した精巧な作品で、従って身体は人間の意図せざる芸術作品だとも考えられるし、よく言われるところでは、人間は至高の神の姿に似せて作られていて、血の通った生きた美しさは比類ないものだとされている。
(などと言いつつ、実際のところ、鏡に映るちっとも美しくない自分を発見しては、しょっちゅうがっかりしたりするわけだが。)
ところが歴史の中で人間は、身体を自分達で制御しようとしてきて、実際のところ人間の自由になる部分が増えてきてはいる、とさしあたり言っておこう。
展示作品の中には身体を工場になぞられた絵があったりして、そういうものを見ると身体が何か人間の目的通りに働いているように錯覚するが、しかし我々は、心臓を動かそうとして動かしているわけではないし、今日も僕の頭は思い通りに働かないのだ…
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