トップArt inn編集部日記>東京国立近代美術館「ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……」
 東京国立近代美術館「ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……」

東京国立近代美術館「ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……」

※このページの写真はあくまでイメージで、本展とは一切関係ありません。

[ text and photo by msx] 2010/1/25 UP

会 期
2010年1月2日(土)~2月14日(日)


次に展開される空間のどよめきのような音・リズムが耳に入り、混沌としたイメージの奔流を予感させる。
会場を進むにつれ、画像が眼窩に残り、記憶の中で線が集積される。
何が待っているのだろうという期待は、強烈で眩暈のするような映像でもって報いられる。

アニメーションという言葉には、動かぬ事物に魂(アニマ)を吹き込んで動かそうという気負いが伺えるが、
ケントリッジの作品は、この時代を生きる作者の存在そのもののような密度を感じさせる。
ぎこちない動き、ぎくしゃくとした身振りの中には、攻撃性と内省等、複数の相反する性質が同居している。
巷にあふれる滑らかで見やすいアニメーションでは、この濃度、思考の軌跡は取りこぼされてしまうのかもしれない。

作品で多く見受けられたモチーフは、暴力、差別、圧制といった、歴史の中で人々に加えられた不正、抑圧だった。
抑圧は、しばしば熱狂や救済に形を変えて訪れ、それが抑圧であることに人々が気づいた時には既に閉塞状態である。
ケントリッジが抑圧に敏感であるのは、恐らく表現という自由な行為にとりつかれた人間の当然の反応であろう。

我々は出来事の意味の全てを把握できるわけではないし、全くの先入観なしに物事を見るのは不可能である。
しかし与えられたものの見方、つまり世界がすでにあるように見るのではなく、
世界を構築する気構えでものごとを見つめた時、
何が異常で何が不正なのか、判断する基準が自分の中に生まれ、表現でもって立ち向かうことができるのだろう。

私が感じたイメージは、私の去った会場で、余白となって沈黙する。
しかし空に焼きついた鳥の影が、風の舌に乗って再び動きはじめるように、
ケントリッジの映像は、あらゆる形に身を潜めながら、次の喚起の対象を、多分あなたを待っている。

Art inn関連記事
Art inn最新展覧会情報:東京国立近代美術館「ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……」 はコチラ
Art inn展覧会レポート!東京国立近代美術館「ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……」 はコチラ