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 東京国立近代美術館工芸館で「青磁を極める-岡部嶺男展」を開催中
《粉青瓷大砧》1969年 個人蔵「青磁を極める-岡部嶺男展」が、
東京国立近代美術館工芸館で2007年3月6日(火)~5月20日(日)
まで開催中。
《粉青瓷大砧》1969年 個人蔵

「青磁を極める-岡部嶺男展」

《織部縄文瓶》1964年 個人蔵 1 《粉青瓷大砧》1969年 個人蔵 2 《窯変米色瓷博山炉》1971年 個人蔵 3 《窯変嶺燦盌》1987年 個人蔵 4
1 《織部縄文瓶》1964年 個人蔵
2 《粉青瓷大砧》1969年 個人蔵
3 《窯変米色瓷博山炉》1971年 個人蔵
4 《窯変嶺燦盌》1987年 個人蔵


 青瓷(青磁)は玉への憧れから中国で生まれたと言われているように、美しい釉色を特徴とするやきものです。産地や時代ごとにその色合いに変化が見られ、一口で語ることのできない広がりと奥の深さを持っています。日本の陶芸の世界では、個人作家としての制作が始まった大正時代末ごろから強い関心が寄せられ、これまでに多くの作家が素材や技法の研究を重ねてきました。岡部嶺男(1919~1990)は、その青瓷の世界に挑戦し、次々に格調高い青瓷作品を生み出して陶芸界に輝かしい足跡を残しました。

 岡部は、陶磁器の産地として知られる愛知県瀬戸に、陶芸家・加藤唐九郎の長男として生まれ、子供のころから陶磁器に親しみました。1940年に21歳で入営し、復員後、本格的に作陶活動を再開すると、織部・志野・黄瀬戸・灰釉・鉄釉などの地元の伝統技法をもとに作域を広げていきます。なかでも器体の全面に縄文を施した織部や志野の作品は極めて独自性が強く、高い評価を得ました。その後、意欲的な作陶姿勢は青瓷の研究へと向けられ、厳しく凛とした器形に、しっとりとした艶のある不透明な釉調の〈粉青瓷〉、透明感ある釉調と青緑の釉色が美しい〈翠青瓷〉、そして、誰もが為し得なかった黄褐色の〈窯変米色瓷〉など、世に「嶺男青瓷」と呼ばれる独特の釉調や釉色の青瓷釉をまとう作品を生み出したのです。

 本展覧会は、その独創性に富んだ作陶活動を没後はじめて回顧し、初期から最晩年までの作品約170点を一堂に展観します。古典の単なる模倣に終わることなく、自らの美意識を作品に映し出すことに生涯をかけた、岡部嶺男という偉大な陶芸家の軌跡を辿ります。


開催期間
3月6日(火)~5月20日(日)
開館時間
午前10時~午後5時
(入館は4時30分まで)
休館日
毎週月曜日(ただし3月26日・4月2日・4月30日は開館)
観覧料
一般800(700/600)円、大学生500(400/350)円、高校生300(250/200)円
中学生以下・障害者と付添者原則1名は無料。
*(  )内は前売/20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
*それぞれ入館の際、学生証、障害者手帳などをご提示ください。

電話
03-5777-8600(ハローダイヤル)
開催場所
東京国立近代美術館工芸館
千代田区北の丸公園1-1
交通案内
東京メトロ東西線竹橋駅1b出口 徒歩8分
東京メトロ東西線・半蔵門線・都営新宿線九段下駅出口2 徒歩12分


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1.嶺男が使用した道具類と愛用の品々。選び抜かれた道具類は、使い勝手良くこまめにカスタマイズされている。画面右下のレコードジャケットは、制作時に聴いていたベートーベン。展示室の一部では、彼の最も気に入っていた楽曲が流れている。
2. 展示会場内のパネル写真。(カンナで側面を削る。1963年頃)
3. 展示会場内のパネル写真。(日進の工房。2006年12月撮影)
4.図案も何点か展示されている。この図は“ざくろ”をモチーフにしたもの。
(以上、展示会場にて) [1~4 : photo by Junko Matsuda]


Editor's review

-創作への情熱が駆り立てるもの-

 本展は、戦後現代陶芸、特に青瓷(青磁)においての原型を作ったといっても過言ではない、岡部嶺男の初の大回顧展だ。1990年に70歳でこの世を去ってから約17年間、東京国立近代美術館は嶺男の回顧展開催に向けてひたすらラヴコールを送り続け、ようやく本展に結びついた。

 彼の年譜を見ると、さまざまな苦難が見て取れるのだが、嶺男はそれらをことごとく打破し、見事に作陶への情熱へと昇華させている。20歳の頃には習作した灰釉瓶子を含む多数の自作が、鎌倉時代の古瀬戸として流通していることを知り愕然として、自ら改造した穴窯の焚き口を壊し、翌年には、太平洋戦争が始まり程なく入営。各地を転戦の後、仲間9人とともにジャングルに逃げ込み、5名だけが生きのび、さらに1年4か月を米軍の捕虜としてマニラ郊外で過ごす。その後約6年ぶりに28歳で復員、嶺男は作陶活動を再開する。
 30歳で結婚し、41歳の時には「永仁の壺事件」、それから大小の病などに見舞われたが、陶芸家としての階段は着実に昇っていく。次々に格調高い青瓷作品を生み出していくのだが、私が気になったのは、「二重貫入」というひび割れ。主に青瓷釉についていわれ、釉面の大きなひび割れと、その内側に生じた小さなひび割れが釉層中にとどまっているものをいうのだが、なんとも複雑で不思議な割れ方である。その風合いは、魚の鱗のようでもあり、また鉱石の突然変異のような、一種変わった感じだ。会場にお越しの際は、是非ご覧いただきたい。

 話を戻すが、1978年でその作陶活動は一旦止まる。59歳の時に脳出血で倒れ、以後、半身不随となる。普通ならそこで終わりかと思われるが、嶺男の場合は違った。ここから彼の更なる作陶人生が始まる。ろくろは挽けないものの、それまでに挽いておいたものに釉薬をかけ、辰子夫人とともに窯で焼いた。そして約10年近くの歳月を経て生み出されたのが、かの「窯変天目」である。嶺男はその天目のきらびやかな釉薬の美しさに、自身の名前の一字を用いて「嶺燦(れいさん)」と名付けた。かつての、大地が切り立つ様なフォルムの荒々しさは姿を消したが、それらとはまた違った魅力に富んだ作風が誕生。滑らかで澄んだ釉薬の中に眼を凝らすと、吸い込まれるような深い宇宙を感じる。

 岡部嶺男は、人生のいかなる時にも作陶への情熱を持ち続け、数々の名品を生み出した。その集大成が、今ここ東京国立近代美術館工芸館に勢ぞろいしている。まさに必見である。


[text by Junko Matsuda]


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