トップ最新展覧会情報バックナンバー2007年9月>釉薬の魔術師=河井寛次郎の陶芸世界を体感したい! 「河井寛次郎 炎の造形」展は9月20日から開催
 釉薬の魔術師=河井寛次郎の陶芸世界を体感したい! 「河井寛次郎 炎の造形」展は9月20日から開催
《三色双頭扁壺》河井寛次郎1963年 河井寛次郎記念館所蔵
「釉薬の魔術師」と称された陶工・河井寬次郎の技法と造形の多様さに焦点をあてて検証する展覧会。
会 期 2007年9月20日(木)~12月9日(日)
会 場 アサヒビール大山崎山荘美術館
休館日 月曜日 (祝日の時は翌火曜休) ※ 但し11月中は全日開館
開館時間 10:00~17:00 ※最終入館は16:30まで
観覧料 一般 700円/高・大学生 500円/障害者手帳をお持ちの方 300円/小・中学生:無料


《三色打薬陶彫》河井寛次郎 1960年 河井寛次郎記念館所蔵/河井寛次郎 1961(昭和36)年撮影/《三色双頭扁壺》河井寛次郎 1963年 河井寛次郎記念館所蔵

《青華鳳凰文瓶》→
河井寛次郎 1922年 アサヒビール大山崎山荘美術館所蔵


 新しい自分がみたいのだ
  ―仕事する
 昨日の自分には人は皆用がない。繰り返しなんかには用がない。(略)次々により自分を見ようとして引きずられて居るのだ。これ以外に人を動かす動力があらうか。
 
(『いのちの窓』昭和23年より)


上記の河井寛次郎の言葉にあるように、彼にとって仕事とは常に自己と向き合うことだった。
徹底した釉薬研究によって様々な釉薬を次々と生み出していった寛次郎は「釉薬の魔術師」と呼ばれ、世界的に高い評価を得た。
だが寛次郎は生涯、世間的な評価に関心を示すことも、賞賛の声に甘んじることもせず、常に自らを鼓舞して新たな表現を模索し続け、生命力溢れる独自の世界を築き上げた。
今回の展覧会では、寛次郎の陶器作品を中心に約80点を展示する。
この機会にぜひとも、河井寛次郎の世界を体感してみよう。
↑《辰砂流描花文蓋物》 河井寛次郎 1940年 アサヒビール大山崎山荘美術館所蔵

河井寛次郎 略歴
1890(明治23)年
島根県安来町(現・安来市)に大工を営む河井大三郎・ユキの次男として生まれる。
1910(明治43)年
松江中学を卒業後、東京高等工業学校(現・東京工大)窯業科に入学。
1914(大正3)年
同校卒業の後、京都市立陶磁器試験場に入所。
1917(大正6)年
試験場を辞し、五代清水六兵衞の顧問となる。
1920(大正9)年
京都五条坂の清水六兵衞の窯を購入、「鐘溪窯(しょうけいよう)」と命名。作陶を開始。

《三彩鳥天使水注》→
河井寛次郎 1923年頃 河井寛次郎記念館所蔵


1926(大正15)年
柳宗悦・濱田庄司・富本憲吉と「日本民藝美術館」設立を発願する。
1937(昭和12年)
自宅を設計、実兄善左衛門を棟梁とする郷里安来の職人を呼び寄せて建築する(現在の河井寛次郎記念館/京都市東山区五条坂)。『鉄辰砂草花丸文壺』、パリ万国博にてグランプリ受賞。
1947(昭和22)年
『火の願ひ』、『いのちの窓』を著す。
1957(昭和32)年
『白地草花絵扁壺』がミラノ・トリエンナーレ展にてグランプリ受賞。
1966(昭和41)年
死去。享年76歳。
↑《流描花文鉢》河井寛次郎 1930年 アサヒビール大山崎山荘美術館所蔵

↑《陶板》河井寛次郎 1951年頃 河井寛次郎記念館所蔵

↑《呉須泥刷毛目鉢》河井寛次郎 1955年 アサヒビール大山崎山荘美術館所蔵

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