
[ text and photo by Art inn編集部] 2010/1/14 UP
本展は、ウィリアム・ケントリッジ待望の日本初個展。ケントリッジは南アフリカ出身のアーティストで、アパルトヘイト時代の記憶を、力強く荒削りの線で描くドローイングを元にアニメーションを制作しています。
政治や歴史の負の記憶、更には自己の内的世界の洞察にまで及ぶ広大な世界に、正直、何か巨大なものを観てしまった…、という印象でした。
◎会期: 2010年1月2日(土)~2月14日(日)
本展のかなり長めなタイトル「歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……」ですが、本展の内容を簡潔に表しています。
CG全盛の時代に、手書きドローイングを描いては消してを延々繰り返し、膨大な時間(1秒間に25コマ!)を費やして制作する過程には必然性があるのです。
木炭によって描かれるドローイングは、自身の腕の動く範囲とはいえ、かなり大きめ。ガシガシ描くので、消し跡も残ったまま、次の動きへと連鎖していきます。
描いたら、映画用のカメラで撮影し、再びドローイングへと戻っていくのです。このドローイング画面とカメラの間を何往復もする身体運動が思考を生み、次なる展開、ストーリーを生み出します。
本展では、ドローイングの白い部屋と映像の黒い部屋が交互に登場します。数も半々くらいですが、ともかく展示数が多く、しっかり観ると3時間は掛かるそう。
ケントリッジは、浮かんだ2、3のイメージを元に制作を始めますが、ストーリーボードや台本は用意しないのだそうです。動きの連鎖の中で、遠い記憶や現実問題、虚と実が縦横無尽に絡み合い、一つの舞台のような構成に仕上がります。これは以前ケントリッジが舞台の仕事をしていた時に身に付いたもので、また彼の生まれ育ったアパルトヘイト下での記憶があいまって、独特の世界観を生成しているのです。
またケントリッジ作品に欠かせないのが、音楽。フリップ・ミラーという作曲家と密接に関係しながら作業を進めていきます。
そして色使いですが、白黒の世界に時折差し込まれる、朱や青の色は、どこかセンセーショナルで意味深な動きを見せています。

《ダブル・カンナ》2004年 2枚のドローイング、鏡2面、三脚による立体視インスタレーション 原美術館蔵 ©the artist
”身体運動=思考”という点では、アナモルフォーシス(歪み絵)という、歪んだ絵の中心にミラー状の筒を立て正像を結ばせるものや、二枚の絵を双眼鏡越しに覗き、立体視するもの、また対極の壁に2枚の絵を掛け、その中央に角度を付けた2面の鏡にそれぞれを映し、あたかも一枚の絵を眺めているような錯覚をもたらす作品《ダブル・カンナ》(2004年)等も登場。
これらに共通するのは、自ら動く事によって正像を見出すこと。身体運動から自分なりの真実に近づいていくのです。

最後の展示室では少々驚かされます。
1930年代のロシアを題材とした政治色濃い映像作品《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》(2008年)が展開します。実写、影絵、人形劇等、様々な手法を取り込んだ摩訶不思議な世界は、勢いのある大音量の音楽に合わせ、くるくると場面が展開し、その扇動的なイメージにいささか支配的なエネルギーを感じます。
ケントリッジ曰く、この時代について考え続け見つけた確実なこととは、この時代が暴力に依存していたということ。この時代のロシアと、アパルトヘイト下での南アに共通項を見出したのでしょうか。
大きく政治や歴史を描く一方で、ソーホー(やり手の不動産会開発業者)とフェリックス(自らの不安で家を半ば浸水させてしまう)という、理性と感情の相反する自分の中の2人の人格の存在や、ごく個人的な記憶に基づく視点が作品に奥行きを出しています。マクロとミクロがない交ぜになったうねりを実現している稀有な作家だなと思いました。
またドローイングはあくまで映像制作をする為のものなので、各映像の最後のシークエンスが残ることになります。ドローイング自体もかなりかっこいいので、ぜひ会場にてご覧ください。
※東京国立近代美術館の許可を得て会場撮影をしています。
※作品には著作権があります。無断転用は固くお断りします。
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