
[ text by 鈴木正人, photo by Art inn編集部] 2010/3/15 UP
恵比寿駅を降り立ち、恵比寿ガーデンプレイスに向かう途中、まずピカソやゲバラなど、二十世紀に活躍した男性達の広告が見えてくる。
それらはどこか奇妙な印象を与えるが、よく見ると、写真の中の登場人物が別人によって入れ替わっていることが分かる。
そして広告は全て、写真やキャプションに滑稽さを含んでいて、思わずくすりと笑ってしまう。
東京都写真美術館へ着く前に観客へ仕掛けを投げかけてくる「森村泰昌:なにものかへのレクイエム―戦場の頂上の芸術」は、展示作品も観る側へのサービス精神満載で、ひどく魅力的な内容だった。
以下、展示の内容を順に追って見ていくこととしよう。
◎会期:2010 年3 月11 日(木)~5 月9 日(日)
第一章「烈火の季節」
三島事件や「薔薇刑」、日本社会党委員長が右翼少年に刺殺された瞬間を捉えた浅沼事件の写真、ベトコン青年の処刑の瞬間など、政治や戦争色の強い写真を題材にしている。
「薔薇刑」シリーズは、非常に色濃い空気を醸している。おそらく森村自身が三島が放つ独特の世界観・存在感に深い興味を抱いたのだろう。
浅沼事件やオズワルド事件、べトコンの処刑の写真は、暗殺者・処刑者と被害者が同じ顔をしている。
暴力を加える側と受ける側の立場の境界が曖昧になるということは、何となく観る者の居心地を悪くするが、同時に安易な単純化を防ぐ機能も果たしているようだ。
また、べトコン青年の写真は日本の都市部で撮影されており、人物の表情もどこか奇妙で、実物の写真の、正視するのがきついような印象を思い起こして不思議な気持ちにさせられる。
第二章「荒ぶる神々の黄昏」
森村が、毛沢東・ゲバラ・アインシュタインといった、世界史上の偉人・英雄になりかわっている。
毛沢東やゲバラ・レーニンやトロツキーは時代の思想や権力を象徴しているが、人間は一時的に力が集結すると、未来において「過ぎ去った者」という哀愁をより強く放つようである。
チャップリンがヒトラーを痛切に皮肉った映画「独裁者」を扱った作品では、二つの映像が同時に流れており、森村は一方では笑いに満ちた台詞を絶叫しており、一方ではシリアスな台詞を語っている。
独裁者を笑いの題材にすると同時に、不可視の独裁者は随所に満ちているというメッセージも伝えてくるようで、観ている我々は笑いの中で、どのような態度をとればよいのかという一瞬の迷いを感じる。
第三章「創造の劇場」
ここで森村は、デュシャン・エイゼンシュテイン・ウォーホル・藤田嗣治など、20世紀の芸術家たちに扮している。
会場に入ってすぐに目にするダリの作品では、ダリになった森村が髭を上下させたり、白目をむき出しにしたりする映像が延々と続く。そのナンセンスな雰囲気に巻き込まれ、笑っている観客も多かった。
イヴ・クラインになりかわっている作品は、「マヤ パーマ 美容室」という看板が随所に出ており、画面全体におかしみを与えている。この看板文字は、ここが日本であり、しかも最先端の場所ではないことを示している。
ボイスに扮している作品では、黒板に一面に文字が書いてあるが、よく見るとドイツ語と日本語等が混在していて、その内容は宮沢賢治の作品と、彼に関する文章だとのこと。
おそらく小道具を用意するだけでも大変だったはずだが、その隙間のない文字をみていると、森村はやりたいことを貫徹するには本当に労を厭わぬ人なのだろうということが伝わってくる。
第四章「1945・戦場の頂上の旗」
第二次大戦が終わった1945年という時を巡って森村が考察と表現を巡らしている。
昭和天皇とマッカーサーの写真、アメリカの終戦記念パレード、映像作品「海の幸・戦場の頂上の旗」など。
「海の幸・戦場の頂上の旗」は、マリリン・モンローに扮した森村が、大学講堂などに全く場違いな形で登場したり、思わずくすりと笑ってしまう要素も多い。
しかし無名称の兵隊が、記憶の象徴や、音楽や絵を生み出す道具を手にしながら、白い旗を掲げて進んでいく姿は、どこか共感と、応援したいような気持ちを掻き立てる。
月並みな言葉だが、芸術は既成概念や固定された価値観に刃向かうものであるはずで、享受している我々も、それを理解しているはずである。
しかしいったん世間に広く認められた作品を目にすると、価値あるものとしてありがたく受け止めてしまう。
そしてこの身振りは、いったん身についてしまうと、次第に抜け出せなくなっていく。
森村の作品は恐らく、なかなか抜けられないその罠から我々を引きはがし、更地に立たせるのである。
思えば笑いも異化、つまり対象から距離を置く行為である。
会場の至る所から笑いが聞こえてくるこの展示の中で、我々は駄洒落の笑いの渦からふと考えるのだ、さて、私はなぜ今笑っているのか、何がおかしいのか?
全体を見れば、作者は一つの価値観を嫌い、何をもって価値があるといえるのか、さまざまな文脈から切り離してもう一度考え直す機会、すなわち大らかで大いなるクエスチョンを与えているのだ、それも全く嫌みなく。

《なにものかへのレクイエム(MISHIMA 1970.11.25-2006.4.6)2006年》
2F 吹き抜けのカフェスペースにて上映中。「静聴せよ!」と大演説する三島氏?は、ただならぬ雰囲気…。( by Art inn編集部)
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