
[ text by 鈴木正人, photo by Art inn編集部] 2010/7/22 UP
マン・レイと聞いて思い浮かぶのは、一つの明確な人物像でなく、マルチなアーティストという多義的な印象だ。
空中に浮かんだ唇、バイオリンに見立てられた背中、美しい肖像写真、謎めいたオブジェ…まばゆい才能と洒脱なセンスに恵まれた人というイメージは、この展示を見ることで、どんな変化を遂げるのか。そんな期待を抱いていたら、マン・レイの、おもちゃ箱の中みたいな奇想天外でポップな発想は、会場でところ狭しとはじけていて、作品は単に見ることではなく、作者の創作過程のエネルギーの体感を一気に要請してくる気がした。
以下、そんなパワフルな展示の内容を、順に追って見ていくこととしよう。
◎会期:2010年7月14日(水)~ 9月13日(月)

New York 1890-1921
マン・レイははじめ絵画や素描に熱中していて、実家を出て芸術家たちのコミュニティに住むようになり、この時期結婚した詩人ドンナ・ラクールにフランスの詩人たちの著作を教えられる。
その時々に出会った人、場所、制作手段を足がかりにし、自分の意識に引っかかるものを大切にできるのは、彼の無意識の感性の正しさを示しているのだろう。
またこの時期に写真技術を習得するが、始めは写真を芸術として考えるのではなく、用途として自分の作品や、自分の記憶に残したいものの記録として考えていたとのこと。
実際彼は、作品の展示場所や購入者などの詳細な記録を、単語帳みたいなインデックス・カードに残していて、これに写真を用いている。作品そのものではなく、アイディアを大切にし、後に複製できるように複写をとっておくというマン・レイの創作スタイルの原点は、ここですでにできあがっている。

Paris 1921-1940
ニューヨークで既に写真の表現媒体としての可能性と収益性に気づいていたマン・レイは、パリに渡ってからも、職業写真家として活動しながら、芸術的な表現手段を独自で発達させていく。
職業写真家としては、最初は他のアーティストの記録写真や肖像写真を撮っていたが、幅広い人脈を生かして次第に「ヴォーグ」や「ハーパーズ・バザー」など、ファッションの領域で活躍し、写真家としての地位を不動のものにした。
芸術写真家としての活動の成果、レイヨグラフ(カメラを介さずに印画紙に被写体を直接置いて像を形作る方法)やソラリゼーション(白黒写真で像の白と黒が反転する現象)は、対象が見たままに写らず、意図していないものが浮かび上がることや、像を抽象化できることで創造性を持つ技法といえる。
その新鮮さや実験性も着目すべきだろうが、レイヨグラフの直線と曲線の危ういバランス、ソラリゼーションの白と黒の階調は胸を打つ美しさで、強いインパクトを放っている。

Los Angeles 1940-1951
戦争でフランス政府が崩壊すると、マン・レイはアメリカに帰国するが、渡米は彼が芸術家ではなく写真家として認識されている場所に戻ることを意味し、批評家たちは彼のヨーロッパでの功績を知らなかった。
この短い期間での最大の成果はおそらく、生涯のパートナー、ジュリエットに出会ったことだろう。彼女にまつわる作品は、モデルへの尽きない興味と尊敬、深い愛情、傾けられた意識の強さが感じられる。
またマン・レイは、フランスに残し、戦火で失われたと思っていた自分の作品を再生産することに身を投じた。この行為は、一つの作品を大量に再制作するという、彼が生涯続ける創作スタイルのきっかけとなる。
芸術作品のアイディアや思想は記録として残すことができるもので、大量に複製できるものだという発想それ自体、マン・レイが20世紀の美術に残した大きな功績だろう。
既に形になったものではなく、感じた瞬間、考えた内容、思いつきの全てを尊ぶ姿勢は、彼の活躍分野の広さの源泉である。

Paris 1951-1976
戦争が終わり、マン・レイは、パリへの永住を決意した。この時代は商業写真の依頼は断り、レイヨグラフ以外の写真作品が展示されることも拒否している。しかし公には写真制作を行っていなかったにもかかわらず、ジュリエットのポートレートは取り続けていたし、カラー写真への興味を示していた。
またこの時代には、彼が切望していた芸術家としての評価が不動のものになるが、この遅くやってきた成功は、マン・レイの作品が一気に市場に出回り、知名度を広げるきっかけになった。
市場への普及により、最初の一点とその複製の関係性、コピーがオリジナルの息吹をより広く伝えるという図式は、彼にとって望ましいものだっただろう。
彼の創作欲は衰えを知らず、病を押しても仕事をし、生涯現役であり続けたという。おそらく真にクリエイティブな人間は、つくることから切り離された時間というものは存在しないのだ。
マン・レイの生み出す作品全てにいえるのは、尽きない創作意欲の波動を感じさせ、強固な集中力がこもっていることだ。彼の提示してくれる世界は、創造することや想像することの楽しさ、希望、強さで満ちていて、見ていて幸せな気持ちにさせてくれる。
また、この展示を見て思い浮かんだ言葉は、「運命」という単語だった。
どういうことかというと、夢から得たインスピレーションを書き留めたり、繰り返し同じモティーフを強迫観念のように使ったりする創作方法、またチェスやサイコロなど、偶然がその機能や形に強く関わっているモティーフを愛したことなど、シュルレアリストのスタイルとがっちり一致しているのである。
シュルレアリスト達にしても写真がうまく、着想豊かで洒脱なマン・レイは、得がたい人物だったことだろう。
マン・レイという人物は、何か一つの潮流に収まりきる人ではないにせよ、かの時代のかの地に活躍したのは、天の賜物、神の采配とでも言えようか。
いや、シュルレアリストの存在は必然性のみでは語るまい、たぶんサイコロみたいな必然と偶然が生み出し、アートの世界で生き続けるアーティストなのだ、今までも、そしてこれからも。
※国立新美術館の許可を得て会場撮影をしています。
※無断転用は固くお断りします。
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