
[ text by 鈴木正人, photo by Art inn編集部] 2010/7/22 UP
今Bunkamura ザ・ミュージアムで行われている「ブリューゲル版画の世界」展のブリューゲルは「農民画家ブリューゲル」で知られるピーテル・ブリューゲルを指すが、彼の長男ピーテル2世と次男のヤンも画家で、まさに画家一族という感じである。
ピーテル・ブリューゲルの制作時期は主に2つの時期に分かれ、前半は版画の下絵を、後半は油彩画を制作しており、油彩は「バベルの塔」「農民の踊り」などで知られている。
今回の内容はそんなピーテル・ブリューゲルの前半期、版画の世界を紹介してくれるわけで、この展示のチラシやポスターは、文字のフォントや渋い色合いは一見おしゃれな感じだが、よくよく見ると馬みたいな動物や変な魚、明らかにおかしいところから足が生えている人など、正体不明の生き物で溢れていて、一体なんなんだろうと目を離せなくなった人も多いだろう。
画面のいろんなところにちりばめられた出来事や教訓に視線がさまよい、なんだか曖昧な迷路に入り込んだような気分になってくるのだ。
以下、展示の内容を、順に追って見ていくこととしよう。
◎会期:2010年7月17日(土)~8月29日(日)

第Ⅰ章 雄大なアルプス山脈の賛美と近郊の田園風景への親近感
ブリューゲルの故郷フランドルは平坦な地だったため、彼がアルプスを目にした時、その壮大さ・ダイナミックさにショックを受けたらしい。開けた谷間と田園の平和な風景、険しい山が繰り返し用いられているのは、その体験が原初にあるのだろう。
またこのセクションでは同時代人の田園風景の素描があり、後にネーデルランドの風景画の発展に寄与したという、牧歌的な作風を見ることができる。

第Ⅱ章 聖書の主題や宗教的な寓意を書く
ブリューゲルの活躍した時代では、キリスト教的テーマは人気があり続けたが、ブリューゲル版画では厳格な主題を扱ったわけではなかったらしく、彼の好きな幻想的な雰囲気をもちこめそうな話を選択していたとのこと。
「七つの罪源」「七つの徳目」シリーズは、宗教的な主題が人間の悪徳・美徳の一面を集約しており、異界の生き物が画面に点在しているのに、生々しいような生活感を醸している。

第Ⅲ章 武装帆船やガレー船の驚くべき表現力
ブリューゲルの活躍した当時のアントワープは貿易都市で、船舶の往来が盛んであった。たぶんブリューゲル自身、海と大空、そして船の姿が好きだったのだろう。
「3本マストの武装帆船とその背後の2艘のガレー船および空のユピテルと墜落するファエトン」は、アポロンの馬車を制御できず、ユピテルに打ち据えられるファエトンという神話が題材であるが、ファエトンが転がり落ちようとしている海に浮かぶ船は誇らしげで、上空で繰り広げられる世界とは別種の生き生きとした美しさを持っている。

第Ⅳ章 人間観察と道徳教訓の世界
ブリューゲルは批判精神と問題意識が強かったのだろう、絵の中で繰り広げられる人間模様の滑稽さ、物悲しさ、愚かさは如実にそのことを語っている。
「誰でも」は人間とは何ぞやという探求が源泉となり、3つの諺から3つのエピソードを表現している。第1の諺を体現している老人がブリューゲル本人に似ているということで、自画像ではないかという仮説もあるとのことだが、これは他者を見ることで自己を見つめるということや、絵の中で行われていることは他人事ではないぞというブリューゲルの自覚が表れているのかもしれない。

第Ⅴ章 諺を通じて知る「青いマント」の世界
「青いマント」はいくつかの諺を描いた絵画や版画のことを指すそうで、青は当時、欺瞞・偽りの象徴であったとのこと。諺版画は当時のブームだったそうだ。
「大きな魚は小さな魚を食う」では大きな魚の腹には無数に小さな魚が入っていて、食われた魚がまたより小さな魚を口にしているという連関構造を示している。またこちらの絵は会場でアニメーションになっており、切られた魚の腹から小さな魚が溢れ出すシーンは、夢に出てきそうなインパクトだった。

第Ⅵ章 民衆文化や民話への共感
農民に注がれるブリューゲルの眼差しは温かく、日常を誠実に営んでいる人々に対する敬意みたいなものを感じる。ブリューゲルは、農民の結婚式などは親戚のふりをして潜入していたとのこと。
「野外の農民の婚礼の踊り」は農婦の頭巾がさまざまなバリエーションを見せているが、彼らが状況や個性で巻き方を変えていたということが分かり、多様な人間の個性と息遣いを伝えている。

第Ⅶ章 四季や月暦表現で綴る市民の祝祭や農民の労働
人間の日常生活に着目すれば、四季の移り変わりや行事などを描くことになる。ブリューゲルと同時代の画家は、人間の生活、労働、年間行事やスポーツを通して季節表現を行った。
「夏」は非常にダイナミックな構図で、麦を刈る大鎌や水を飲む農夫の足は画面からはみ出し、過酷な農作業とそれに負けないの体力を示している。
刈入れの動作と収穫の成果を示す籠は、大胆な動きと生命感、ひりつくような日光と季節の恵みを象徴しているようだ。
物語性と動きを付与してくれる異形の者たちをふんだんに描き、見るものを飽きさせないようにしたのは、画家本人の癖や好みはあるにせよ、ブリューゲルのサービス精神だと思う。加えて版画に後世まで残る価値を与えているのは、彼の緻密で計算された自然描写、エネルギッシュで奇想天外な想像力、それを版画として形にした技術者の腕などが挙げられるだろう。
私はまた、この版画を受け入れ、発注し、欲しがった当時の人々の嗜好も気になった。その意味でこの展示は、当時の世相を知りたくなる内容でもある。
そしてブリューゲルの版画の世界はおそらく、今の季節、常ならぬ存在がうごめく夏の空気にふさわしい。
Bunkamura ザ・ミュージアムは金・土は夜間も開館していることだし、逢魔が時にコミカルな百鬼夜行、欧州版異形の者に出くわすのも乙なものかもしれない。
※Bunkamuraザ・ミュージアムの許可を得て会場撮影をしています。
※無断転用は固くお断りします。
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