[ text and photo by 鈴木正人] 2011/1/11 UP
会 期
2011年1月8日(土)~2011年3月27日(日)
みんな年も明けて正月ボケに浸る暇もないのだろう、今日も電車の中は企業戦士でいっぱいだ。
仕事であれ学校であれ休みが明けると、そこと家との両方が生活の中心になる。
ざっくりと分ければ、「仕事」「学校」では公的時間・空間を、「家」では私的時間・空間を前提し、それぞれの役割を演じる。
私は今まで時間・空間は、その場所での自分の役回りで決まるものであり、建物に左右されるなんて考えたこともなかった、今回の展示「建築家 白井晟一 精神と空間」を見るまでは。
建築家、作家、書家、複数の顔を持つ白井晟一、彼の生み出した建物は、私の安易な単純化などは及びもつかない超越した時空を持っていた。
以下、展示の内容を会場の展示順に追って見ていくこととしよう。
INTRODUCTION
白井晟一が住まいとしていた虚白庵の写真や、机・ランプシェード、紙に書かれた「ニーチェの言葉」などがあった。
白井は建築を志す前にハイデルベルグ大学に留学し、ヤスパースのゼミに身をおいていたらしい。
特に思想の中ではカント哲学に惹かれたとのことであるが、ニーチェも留学時代の痕跡だろうか。
虚白庵
虚白庵に置いてあった彫像の頭部や白井の手による書など。
すみに展示されている版画はジョルジュ・ルオーの「政治屋」で、書かれているおじさんの絵が自分に似ているということで気に入っていたらしい。
白井のポートレイトと比べると確かに似ていて、かわるがわる見入ってしまう。
虚白庵の写真は野村佐紀子が撮っており、洞窟のような重厚な雰囲気が余すところなく伝わってくる。
書
書は白井が幼少時より身につけたもので、「顧之昏元」と号し、日々の生活で書の鍛錬を日課とした。
一日の半分を費やしたとされる鍛錬は、精神と手の動きを完全に制御するという意味で、修業に近かったのではなかろうか。
白井の書は、字が伸びやかで崩しすぎないのが特徴とのことで、書家にも評価されているほどの腕前。
住
初期に携わった木造建築から、遺作となった雲伴居に至るまでの関連資料など。
初期の作品は比較的素朴で、内部と外部の境界があいまいで開放的な印象を受ける。
しかし、建物が人間の生活や精神を引き上げるという発想は一貫しており、生涯を通じて掲げたポリシーはどの建物にも反映されている。
塔
展示されている親和銀行やノアビルの写真を見ると、そびえ立ち、重厚な雰囲気を醸し出している。
これらの建物は、都心にあってなお他の建物を圧倒し、その場所の空気を変化させているのだろう。
地の底と天上を連結させているようにも見えるし、垂直に上昇しているようにも見える。
ここにある書「孤頂」「掃塵」は、孤高を保ちながら頂に上り、地上の塵芥を寄せつけない、白井の姿勢とその建築物を感じさせる。
原爆堂
もともと丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」を収める美術館の建設計画から発想された。
一つの美術館という範囲に納まらず、核を保有し使用してしまった文明と向き合おうとしながら、建築家自身が鎮魂として何ができるかという挑戦や問いかけを示しているプロジェクトである。
この建物が実現して入ることがあれば、相当の覚悟をもって臨まなければならないだろうが、入った者の人生に消えない問を投げかけつづけるだろう。
幻
実現されなかった建物や消失してしまった建物のスケッチや図面など。
解体された横手興生病院のハチの巣のような外壁は堅牢で、螺旋階段なども細部にわたって白井のリズムが息づいているようだ。
横手興生病院の写真は畠山直哉が撮っており、この建物がふとした瞬間に見せる味が実直に捉えられている。
共
松濤美術館や静岡市立芹沢銈介記念美術館の石水館、秋ノ宮村役場などの施設が扱われている。
書店である「煥乎堂」エントランスには水道の蛇口があったとのことで、洗い清める意味が込められているのだろうか。
松濤美術館の、外観は洗練されつつ、内部は胎内のようなイメージと、石水館のプリミティブなイメージは、どちらも魅力的である。
祈
キリスト教関連施設であるサンタ・キアラ館と、仏教関連施設である善照寺本堂は、宗教の種類は違えど精神が高みへ向かう場所としては共通しているのだろう。
親和銀行大波止支店は、銀行の建物であるが、長崎という被爆した町への思いが込められている。
祈るという行為はおそらく、白井の建物すべてにふさわしい。
装丁
白井は中公文庫や中公新書の男性、メダイヨン、鳩といったシンボルのデザインを行っており、また本の装丁も行っている。
手がけた本は角を落とされていたり、革張りで高級感があったりと、細部に至るまで工夫が凝らされている。
白井自身著作を残していることもあり、書物への愛情もさぞかし深かったことだろう。
抽象的に「建築」と言われた時、何かの建物のデザインや機能が頭に浮かぶと思う。
しかし白井の作品は、「どのように見えるか」「どのように使うか」のみならず、そこに入ると自己の内面と対話せずにいられない、そんな空間を提供している。
彼の建物の中で光は譲歩し、闇が包み込む。中に入る人は自らを省みる。研ぎ澄まされ、豊かになるのは精神、そしてその人そのもの。
善照寺本堂(浅草)
図面や写真から私の興味はふくらみ、後日、白井建築である浅草の善照寺本堂に行ってみた。
日常の軽薄な繰り返しを一度断絶する場所にふさわしく、善照寺本堂は浅草の生活空間の中で静謐な雰囲気を醸していた。
東京だと、他には渋谷の松濤美術館などが手近に見られる作品である。
実際のところ、この展示を見た後は、闇より深く、塔より高い白井建築を体感したいと強く感じさせられるのだ。
とても貴重な機会だったと思う。
※パナソニック電工汐留ミュージアムの許可を得て会場撮影をしています。
※無断転用は固くお断りします。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●Art inn注目の展覧会情報:パナソニック電工汐留ミュージアム「建築家 白井晟一 精神と空間」はコチラ