70歳で絵筆を取ったウォリス老人と周りの人々
若い頃は船乗り。その後陸へ上がって船具商となり、愛妻に先立たれて失意と孤独の中で絵筆を取る。船舶用塗料で厚紙や板切れに、海や船、港などを思うままに描き続け、70歳から亡くなるまでの約17年間で、数千点の作品を残したウォリス。
画家のベン・ニコルソンとクリストファー・ウッドが偶然、彼に出会わなければ、ウォリスの作品は“老人の落書き”で終わっていただろう。また、作品に惚れ込んだ美術館の学芸員の存在なくして、彼の作品が世に出ることはなかっただろう。
この展覧会も同じである。以前、日本にウォリスを紹介した学芸員が作品に魅了され「いつか大々的にウォリス展を開催したい!」と強く思い、本展でその悲願が実を結んだのである。芸術とはアーティストだけのものではなく、支える周りの人々の愛情や情熱がなければ成立しない。もちろん我々観る者も不在ではない。そんな、アートの隠れたドラマに気付かされたと思うと、本展覧会はとても意義深く、味わいはさらに増してくる。
展示会の見どころ
Ⅰ セント・アイヴス 港と家
32歳頃から亡くなるまで住み続けたセント・アイヴスは、ウォリスにとって心のより所であった。港や町並みが克明に描かれ、その愛着ぶりが伺える。イギリスの地図も展示しているので、参照しながら作品を鑑賞し、小さな港町に思いを馳せてほしい。
Ⅱ コーンウォールとデヴォン 港と橋と船
ウォリスの生まれ故郷、デヴォンを材にした作品群。帆船から汽船への移り変わりを目の当たりにした驚きと、帆船への郷愁。《ソルタッシュの高架橋》などに描かれた鉄道橋が、新しい時代を象徴的に映し出している。

《帆船と2隻の蒸気船-ニューリン港》制作年不明 油彩、板 所蔵:ケンブリッジ大学 ケトルズヤード

《大きな橋の手前の船(ソルタッシュの橋と訓練船)》1935-37年頃 油彩、厚紙 所蔵:ケンブリッジ大学 ケトルズヤード
Ⅲ 沿岸を走る船
海だけでなく、ウォリスの視線は岸辺や陸地に注がれ、動物や田園の情景を描いている。岸辺を走る帆船、動物や人々などすべて盛り込もうとすると構図に無理が生ずるが、それを無視して頭の中にあるのどかで平和な風景を、そのまま描写する“素朴さ”がいい。

《家とめんどりと船》制作年不明 油彩、板 所蔵:個人蔵
Ⅳ 荒海を行く
荒々しく人間に牙を向く、海の恐ろしさを描いた作品も多く残されている。船乗りとしてカナダまで航海したウォリスには、海の怖さが刻み込まれ、その記憶が作品に強く反映している。船の難破は、そんな彼の記憶の象徴である。

《難破Ⅰ-アルバ号の難破》1938-40年頃 油彩、厚紙 所蔵:ケンブリッジ大学 ケトルズヤード
Ⅴ 人と自然
海から離れ、野原や樹木を描いた作品は、彼が船を下り船具商として陸地に上がってからの記憶であろうと、ウォリスの研究家ロバート・ジョーンズ氏は推測する。大きな木々や緑地に、穏やかで平和的な彼の目線が注がれている。

《木立のある家》1935-37年頃 油彩、厚紙 所蔵:ケンブリッジ大学 ケトルズヤード

《門にいたる道》制作年不明 油彩、鉛筆、厚紙 蔵:ケンブリッジ大学 ケトルズヤード
Ⅵ 海に生きる 漁師と漁船と魚たち
コーンウォールは漁業が盛んで、自身も漁師であったことから、漁師に注がれる彼の目線は特別な思い入れがあった。マストを斜めにするのは漁の時に横揺れを防ぐための知恵で、その辺りを忠実に描いている点は、ウォリスの個性を物語っている。

《マストを斜めに倒した船に乗った2人の漁師》制作年不明 油彩、厚紙 所蔵:ケンブリッジ大学 ケトルズヤード
Ⅶ 帆船と汽船
19世紀から20世紀にかけての科学の進歩は、船舶を帆船から汽船へ変えていった時代である。船に並々ならぬ思いのあったウォリスは、さまざまタイプの船を描き分けている。なかでも帆船は、記憶の中の郷愁をこめて細かく描写している。

《岬と2隻の3本マスト船》1934-38年頃 油彩、厚紙 所蔵:ピア・アーツセンター、ストロームネス
Ⅷ 灯台へ
船乗りにとって灯台は、航海の安全を導く重要な道しるべ。ウォリスは多くの作品に灯台を描き入れているが、その思いは人生を導いてくれる大切なもの、というような意味を込めていたのだろうか。船と灯台は、自分と神という表現に置き換えられる。
Ⅸ オブジェ
ウォリスは厚紙や板切れだけでなく、水差しや壷、皿など描けるものには何でも絵を描いており、その貴重な作品(オブジェ)3点を展示。生前の彼を知る男性の「彼はなんにでも絵を描いた。描けるもので無事なものなんてなかったよ」という証言が残されている。

《彩色されたふいご》1933-37年頃 所蔵:個人蔵
Ⅹ ベン・ニコルソンとクリストファー・ウッド
のちにイギリスの抽象画の巨匠と呼ばれるベン・ニコルソンと29歳の若さで列車事故によりこの世を去ったクリストファー・ウッドの作品には、ウォリスの影響が強く反映している。一見稚拙だが自由で活き活きとした動物の描き方などに、共通点が見出せるのが実に興味深い。

~無名性の美学
無名だからこそ観る価値がある。美術館に通っているアート・ファンならなおさら価値に気づき、その人々の口コミによって来場者は増えてほしい展覧会である。
以前、作家の林望さんにインタビューした時、話がイギリスの鞄職人に及んだことがある。氏いわく「購入したオーダーメイドの鞄があまりにも素晴らしく、感動のあまり作った職人の名前を教えてほしいと依頼したところ、その職人は『私はいち職人です。例えその申し出が女王陛下であってもお答えできかねます』と断られました」と云い、イギリス人の気質にある“無名性の美学”について教えていただいたことを、本展を観ながら、ふと思い出した。
アルフレッド・ウォリスは毎日聖書を読み、安息日(日曜日)には描きかけの絵を新聞紙で覆い隠す熱心なキリスト教徒で、画家として知られるようになってからも決して高額で絵を売ろうとはしなかった。彼も無名性を美徳としたのだろうか……。ガンコ(?)なウォリス爺さんは、晩年を貧民収容施設で過ごし、そこで亡くなったという。
TEXT by Sakae Ishikawa
DATA
●名称/「だれも知らなかった アルフレッド・ウォリス -ある絵描きの物語-」
●会場/東京都庭園美術館
●会期/2月3日・土~3月31日・土
●開館時間/10時~18時(入館は17時30分まで)
●休館日/第2・4水曜日(3月28日・水は臨時開館します)
●入館料/1,000円(一般/当日)
●所在地/〒108-0071 東京都港区白金台5-21-9
●アクセス/JR・東急目黒線「目黒駅」東口より徒歩7分、東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線「白金台駅」1番出口より徒歩6分
●問い合わせ/03-3443-8500(テレホンサービス)
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