その眼差しは、一体何を見つめているのだろう? 《自画像》 [白衣の自画像] 1944年 東京国立近代美術館蔵 |
◆決意か困惑か、その眼差しに内在するものとは。
中学の時か高校の時か定かでは無いが、美術の自画像を描く授業で、参考作品のひとつとして、靉光の《白衣の自画像》を観た。白いシャツをまとった広い肩幅の大きな上半身の上に、小さな頭部が乗っている。黒く塗られたバックに浮かびあがったシャツの白さと画面右方向に向けられた強く厳しい眼差しが、とても印象的だった。
![《自画像》 [白衣の自画像] 1944年 東京国立近代美術館蔵](http://www.art-inn.jp/tokushu/images/023aimitsu/aimitsu.jpg)
《自画像》 [白衣の自画像] 1944年 東京国立近代美術館蔵
⇒靉光、最晩年の作品のひとつ。大地にしっかりと直立する、大きな壁のような佇まいである。簡素なシャツの白さが、まるで彼の精錬潔白な決意や志を表しているかのようだ。
この人は何をこんなにも厳しさを持って見つめているのだろう?未来か?己自身か?それとも眼の前の現実か?観ているこちらまでも胸が苦しくなるような迫力の作品だ。靉光を語る上でよく言われるのが、「日本のシュルレアリスムの代表作家」、「抵抗の画家」、「戦争の犠牲となった悲劇の画家」などであるが、その画業を観ればお分かりいただけるとおり、「密度と集中力、苦闘する作家」である。

《眼のある風景》1938年 東京国立近代美術館蔵
⇒当時、ライオンをモチーフに連作していた流れを汲む、靉光の代表作である。画面全体に塗り重ねられた赤褐色の塊は、内臓のようにも見えグロテスクであり、また怒れる彼の魂のようにも感じられる。
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◆突き詰めに突き詰めて見えてくるもの。
わずか38年という短い生涯(従軍中の上海で戦病死)の中、靉光は様々な画風を模索している。シュルレアリスムの雰囲気のあるものや、ゴッホやルオーからの強い影響を伺わせる重い色彩の油彩画、驚くべき密度で表現されたロウ画、墨と極細の面相筆で繊細に、時に気持ちの悪いほどに描き込まれた植物画や人物画、抽象画など多岐に渡る。

《編み物をする女》1934年 愛知県美術館蔵
⇒結婚して間もない時期にキヱ夫人をモデルに描いた作品と言われるロウ画。執拗なまでの描き込みがなされている。実際の作品はわずかB5サイズほどの大きさ。
その作風は、ほぼ全般的に重苦しい。伸び伸び楽しんで、というよりは何者かを必要に突き詰めていくというような姿勢なのだ。描いては消し、重ねては削るといった作業の延々の繰り返し。昼間でも雨戸を閉め、暗闇の中、電球で照らしながら描いていたという。
そんな作業状況であるが故、どうしても近視眼的になり、細部を描き込み過ぎ全体がアンバランスになる。その歪みが不思議な世界観を創り出す。それは単なる幻想では無く、現実を突き詰めていった結果がもたらした幻想なのだ。

《二重像》1941年 広島県立美術館蔵
⇒現実を超越した想像上の世界。精緻で複雑な線描と相まって鬼気迫るものを感じる。靉光の鼻の下にもこの絵と同様な傷があったことから、自画像の一種とも考えられる。
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本展では、展示会場の最後に《白衣の自画像》も含め、《帽子をかむる自画像》、《梢のある自画像》の3点の自画像が並べて展示されている。3点が並ぶというのはとても珍しいことらしい。この貴重な機会をどうぞお見逃し無く!

⇒展覧会場にて。愛用の絵筆も展示されている。

⇒こちらも同じく展覧会場にて。靉光が従軍中に使っていた飯ごう。彼が戦死した上海の兵站(へいたん:戦場の後方にあって、作戦に必要な物資の補給や整備・連絡などにあたる機関。)病院で同室だった画家の串田良方が、戦後持ち帰った。表面に本名の”いしむら”と削り記されている。
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P.S.
「靉光」と書いて“あいみつ”と読む。ご存知ない方はきっと初めは読めないだろう。「靉」という漢字は、調べてみると、「雲・霞などが盛んにたなびくさま。」とある。
本名は石村日郎(にちろう)。幼い頃から画才を発揮していた彼は、高等小学校を出て、画家を志しながら印刷所の見習いをする。その後、本格的に画塾に通い始めた頃から、靉川光郎(あいかわ・みつろう)と名乗るようになり、この名を靉光自身大変好んだという。果たして彼自身、この文字の由来を意識していただろうか。
[text by Junko Matsuda]
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”東京国立近代美術館で「生誕100年 靉光展」を開催”はコチラ

